トップカードゲーム戦記2009年挨拶(09.01.28)


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■新年の御挨拶。2009年のカードゲームを、皆様に楽しんで頂くことを誓って

 皆様、あけましておめでとうございます。
 昨年は様々な方にお世話になりました。この場をかりて、お礼申し上げます。


 さて、徳島の片隅に“フューチャービー徳島店”を作ってから、足かけ9年が経とうとしています。

 “裏日記”を読み返してみたところ、カードキングダム練馬春日店のオープンが2004年11月ですから、僕はもう、4年以上東京に住んでいるんですね。
 この4年での様々な事柄の移り変わりを、肌で感じます。

 TCG業界も、少しずつですが進歩しているように思います。
 先日、練馬春日店では新聞社様の取材をお受けしましたが、昔はカードゲーム専門店に全国紙の取材が来る事は考えられませんでした。

 毎日、カードゲームに親しんでいる僕達にとって、カードゲームは「日常のもの」ですが、ごく一般の方たちにとっては、まだまだ目に触れる事の少ない、「カードゲーム?ああ、子供たちが集めてる物ね。ムシキングとか?」という程度の、「自分たちとは、一切関係のない物」だったのだと思います。

 人間は、自分の知らない物に対して、警戒心を持つ本能があります。
 特に、大切な子を持つ“親”にとって、「新しい玩具」は警戒の対象です。
 自分が影響を受けた本を子供にも読ませたり、良い影響を受けた遊びや経験を、体験させようと 考えるのは自然な事だと思います。
 逆に、あまり知らない新しい遊びであるカードゲームに、警戒心を持つのは、これもまた自然な ことでしょう。

 僕達の上の世代の人達(現在の50〜60代あたり)は、「漫画を読むと怒られた」ことが多かったといいます。
 その人達の「親」の世代は、漫画をあまり読まずに育ってきたため、漫画が子供に与える影響力について、警戒心を持ったのでしょう。

 同じように20代〜30代の世代にとっては、テレビゲームに対する親の風当たりが結構なものであったと思います。
 僕自身もテレビゲーム歴はかなり長く、「ファミコン通信」(現「ファミ通」)を創刊号から読んでいたぐらいに好きです。
 ですので、「ゲームは頭に悪い」という決め付けなどなど、「新しいものであるが故に迫害されるホビーの戦い」を、自分自身ユーザーとして、そして実際に販売していた者として、目の当たりにしてきました。
 ファミコンの無かった世代の人達にとって、何時間も集中してテレビに向ってコントローラーを持つ我が子を見るのは、ちょっとした恐怖であったのでしょう。

 子供を育てると言う事は、一個の新しい人間を生み出し、慈しむ事であると同時に、「自分の経験を生かし、より幸せな人生を歩んでもらいたい」という、ある意味「自分のコピー」を生み出すことにもつながると思います。
 その「自分のコピー」が、自分の全く知らない物の影響を受ける事は、「予期できない結果を生み出す可能性」がある分、不安に感じて当然だと思います。
 そう考えると、漫画やアニメ、テレビゲーム、そして今ではカードゲームが、親に止められたりするのも、根は同じなのかもしれません(度を越した熱中は、そりゃ止められるべきですが)


 まだまだ、世間一般的に見て、「新しいもの」であるカードゲーム。
 これが受け入れられ、生き延びるものになるかどうか…。
 将来、この国を担う子供たちに、良い影響を与えるホビーになりうるかどうか。
 それは、僕達業界人と、今、カードゲームを楽しんでいる皆さんに掛かっているのだと思います。



 はっきり言ってしまえば、カードゲームなどのホビーは、「生きていく上で必要のないもの」です。(「衣食住」などとは違い、無くても生きていけるものです)
 スポーツや芸能と同じく、「無くても、生きていけるもの」です。
 それを商う僕達は、「皆様に、生かして頂いている人間」です。(スポーツ選手や芸能人も同じ)
 三波春夫が舞台のあいさつで「お客様は、神様です」と言っていたのが正にそれ。我々は、「お客様によって生かして頂いている」のです。

 で、あるならば、僕達にできる事と言えば、ただひとつです。
 「カードゲームが、売れるから売る」のではなく、「カードゲームを少しでも“良いもの”にするため、より楽しんで頂ける環境を整える」のがご恩返しであり、世に生かして頂く意義でしょう。


 そう考えて僕は、カードゲームが、より多くの人達に受け入れられ、子供たちに少しでも良い影響を与えられる物になるよう、出来る限りの努力をしてきたつもりです。

 過去、デパート内に小型店舗を出した時の、「一般の家族連れ客に、カードゲーム専門店を見ていただこう」という実験では、お父様、お母様方が、カードゲームにどういったイメージを抱いているか、どういった点を問題だと感じているかを、直接おうかがいする機会に恵まれました。
 
 ・カードショップ開店!
 ・カードスポット営業日誌

 今まで僕が営業してきた「マニアックなカード専門店」ではなかなか接客する機会に恵まれない、「普通の、家族連れ」(これこそが“世間一般の消費者”の代表です)の方々に、新しい商売である“カード専門店”を見て頂き、その反応を確認できたことは、その 後の練馬春日店や蒲田店の開発に、大いに役立ちました。

 一例をあげると、駄菓子のコーナー。

 「売れるから、ついでに置く」のではなく、入口から近い、目立つ所に、コーナーとしてきちんと力を入れて展開します。

 これにより、初めて来られた親御様にも、「ああ、昔あった駄菓子屋の現代版のようなところなのだな」と、安心していただく事ができます。

 「訳のわからない、カードゲームなどという怪しげなモノの店」ではなく、「昔の駄菓子屋のような、子供たちの集まる場所」と受け止めてもらうだけで、ずいぶんとイメージが変わってきます。

 後は、そのイメージを裏切らないよう、子供と大人がいっしょに安心して遊べる環境を、店側できちんと守っていくことが大切です。

 だれもが楽しく、安心してデュエルスペースを利用できるよう、シャークトレード(片方が明らかにガッカリするカード交換)などが無いか常に目を光らせ、マナーを守らない人には厳しく注意し、注意が受け入れられない場合には、出入り禁止などの厳しい処置を下します。

 時折、そういった方などから逆恨みされる事もありますが、そうしたしっかりとした対応を取ることにより、それを見ていた他のお客様に、「ああ、デュエルスペースがほったらかしの無法地帯にならないよう、ちゃんと注意しているんだ」と、“安心”していただくことができます。

 そうするうちに、最初は、新しい商売ゆえの偏見により、「あの店に行っちゃダメ!」と言われる事が多かったとしても、次第に地域に受け入れられ、根差し、多くの顧客を得る事につながると思います。






 一般にとってはまだまだ「新しい物」であるカードゲームショップも、「こういう店があるんだ」と、次第に受け入れられつつあるようです。

 ほとんどの社会人は、「今の子供はテレビゲーム世代だ」と誤認しています。
 ちょっと違いますよね。
 今の子供たちは、「カードゲームでも育った世代」と言えると思います。

 マンガもアニメもテレビゲームもありましたが、同じように多く話題の中心となり、生活に密着している、遊戯王やポケモンなどのカードゲーム。

 それより下の世代はさらに、物心ついた時には“ムシキング”を手にしていました。

 彼らが大人になったとき、共通の話題として「カードゲーム」が語られるでしょう。
 僕達が、飲み屋で「昔やったテレビゲーム」の話をしたように。

 今の子供たちに対する、カードゲームの影響力は絶大です。

 で、あるならば、少しでも「より良い影響を与えるもの」となるよう、カードゲームを「成長」させなければならないだろう、と、一人の「大人」として考えます。
 販売する者、作る者、企画する者、広める者が、ひとりひとり、「大人として、社会人として、『世に生かされている者として』、自分の扱っているホビーが、世に広めるものとして相応しいかどうか」を考え、責任を感じながら触れなければならないと思います。


 しかし。
 残念ながら、そうした「社会人としての責任感」が見えないところも、まだまだ見受けられます。
 「カードゲームが流行っているから、今のうち売ってやれ」という意図のみで作られ、その影響まで考慮していないような「無責任」な商品も、やはりまだあるように思うのです。

 昔、とあるキャラクターのカードゲームがありました。
 そのキャラクター自体は僕も大好きだったのですが、この作品のカードゲームときたら、適当に作った感が全開の、実にひどい出来でした。
 
 まず、「元の作品にまったく出ていない」カードゲームオリジナルのキャラクターがほとんど。
 元のキャラクターのカードが欲しいと思って買った人は、その時点で裏切られます。
 さらに、そうしたオリジナルキャラクターが、ひとつひとつ良く考えられた、「クリエイターの愛のあるキャラクター」ならともかく、やっつけ仕事のいい加減なものがほとんど。

 一事が万事、ゲームの内容も酷いものでした。
 とりあえず、第1弾セットの段階で、確実に動く1ターンKILLデッキが作られてしまいました。
 さらに、まったく同じキャラクターのカードでも、レア版の方は単純に数字が大きいという・・・完全上位互換制。
 コストが高いとか、マイナステキストがあるとかではなく、ただ単純に、「同じカードの、レアの方が強い」という仕様。
 さらにその上。「大会で優勝すると、さらに強いカードがもらえる」という、「金を出せ!金を出せば勝たせてやる!!」という商品内容だったのです。
 そこには、「あまりお金をかけなくても、創意工夫で勝つ事ができる」という、カードゲームの創作性、考えること、努力することをあざわらうような、「お前ら、勝ちたければ金を出しやがれ!」という歪んだ(と、僕は感じました)制作者の意図が見えたのです。

 とどめに、最後のセットは、今までのカードがほぼ全て無駄になるような、一回り数字の大きくなった、めちゃくちゃに強いセットでした。
 「今後、このゲームを遊ぶには、このセットを買いまくらないと勝負にならない!」というセットだったのです。
 そして、皆がある程度買いそろえたころ、衝撃の発表。
 「当カードゲームは、テレビアニメの終了とともに、全てのサポートを打ち切ります。今後、公認大会等は一切行いません」という一方的な通告。
 オークション等で高額の値段が付いていた大会優勝プロモは、あっという間に紙切れに成り下がりました。

 その結果、そのゲームのカードだけでなく、他のカードゲームも全て、お母さま方に、「あんた、カードばっかり買ってるけど、テレビが終わったら紙切れになるじゃないの!!」と言われる物になってしまいました。

 僕は現場でそうした声を幾度となく聞き、「これで『カードゲームという新しいホビーの信用度』はかなり傷つけられた。これを取り戻すには、5年はかかるだろう…」と悔し涙を流したものです。


(しかしながら、そうした商品を、「自分は駄目だと思うから扱わない」と判断するのは、店側の傲慢というものだと思います。
 なぜなら、そうした場合、「ここになら売っているだろう」とご来店下さったお客様の期待を、裏切ることになるからです。
 商品を選ぶのは、あくまでもお客様であり、店の義務は「商品を取りそろえること」だからです。
 僕はそうした商品をお買い上げのお客様に対しても、基本的には決して自分からは出しゃばらず、お客様のお求めに応じて商品をお渡しするようにしています。
 しかし、「これは、良いものですか?」と聞かれたときのみ、専門家として責任を持って、「この商品は、こういった面でお求めになられる方がいらっしゃり、反面、こういった問題点もあります」といった説明をいたします)


 レアカードが強く「欲しい」と思えるものである事は、トレーディングカードゲームの性質上、むしろあるべき(でなければ、パックをむく楽しさもなくなってしまう)ですが、「極端に強力なレアカードが存在し、一般のカードではまるで歯が立たなかったり、デッキの選択肢を極端に狭めてしまうもの」が「わざと」用意されているものは、すなわち、「金を出せ!勝たせてやる!」という商品であると思います。(わざとでなければ、単に出来が悪い商品ということです)

 
 僕がデュエルマスターズを愛し、お勧めしているのは、「お金のない人は無い人なりに、出せる人は出せる人なりにデッキの選択肢を増やせる、コモンカード1枚にも使い道のあるバランスのとれたゲーム」だからです。

 そうしたゲームバランス、商品内容こそが、子供たちに、「世の中に、無駄なものなど無いこと」「創意工夫で、勝利や成功を掴めること」「逆に、理屈だけでも成功しない、カオスが世の中にはあること(適度な運ゲー要素)」を伝える事の出来る、優れたホビーになりうると信じているからです。
(余談ですがカードキングダムの売り場は、そういった見落とされがちなコモンカードでも後に輝くこともあるというカードゲームの特性に応えるためにフルコンプリートで揃えた結果、生まれた業態です)


 逆に、ゲームバランスにおいては、少々とっちらかった感のある遊戯王5D'sOCGですが、これを僕が「応援したい」と考えている理由は、遊戯王というコンテンツが、僕達も思いもよらないような、まったく新しい「カードゲームの価値」を作り出してくれるからです。

 カードゲームをよりかっこよく演出してくれた大発明、“デュエルディスク”はもとより、「カードゲームの学校」を描くアニメ、プロデュエリストやエンターテイメントデュエルの提案…。

 こうした「夢」を描き、「カードゲームって、こんなに楽しい!」という事を表現し続けてくれる、魅力のあるキャラクター達が、生き生きとアニメーションで活躍し続けてくれるだけで、カードゲームの魅力はより輝きます。
 カードゲームを生業とするものとして、遊戯王というコンテンツには、いくら感謝してもしたりません。


 しかしやはり、もっともっとカードゲームは面白くなっていけると思います。一つ一つの問題点を解決し、「進化」する事を止めてはいけないでしょう。
 たとえば遊戯王に関しては、商業的には、新規層に向けた「キャラクターを全面押し出した、初心者でも簡単に使える本当に強いデッキ」を企画する事が急務であると思われます。
 デュエルマスターズのスーパーデッキのような「本当に強いデッキ」に、キャラの魅力をプラスアルファできるのは遊戯王の強みでしょう。





 進化の止まったホビーは、模倣品によって滅ぼされます。

 大ブームを起こしたムシキング、ラブ&ベリー等の筐体カードゲームは、細かいマイナーチェンジを繰り返しましたが、大きな「進化」はできませんでした。
 そうこうしているうちに、キャラクターの付いたよく似たゲームが乱発され、市場が荒らされ、滅んでいってしまいました。
(現在、ヒットしている“ドラゴンクエスト・モンスターバトルロードII”は、明らかに「進化」しているものです。やってみるとびっくりするぞ!)

 テレビゲームは、「ハードウェアの進化」という、目に見える進化に引っ張られ、長い間一級のホビーとして生き残ってきました。
 例えばテレビゲームも、最初の“ファミコン”のままでは30年もブームは続かなかったことでしょう。
 「今度はすごそうだ」と思ってもらえる、ハードウェアの「進化」があったからこそ、お客様の興味を引き続けられたのです。

 ひるがえってカードゲームを見てみれば、アナログゆえに「進化」がわかりにくい商品だ、といわざるを得ません。
 「今度はこんなに凄くなったぜ!」という「打ち出し」が難しく、今までとの比較もしにくいぶん、お客も「良いものか?悪いものか?」が判断しにくいホビーだと思います。

 しかしながらデュエルマスターズの“スーパーデッキ”のように、革新的な商品を企画する事で、新規層の掘り下げや拡大が望める事は実証されています。


(■スーパーデッキの凄さ
・パッケージの見た目からして今までと派手さのケタが違う
・元のレアリティがレアのカードは1〜3枚枚のみ、などという、価格から逆算した枚数ではなく、「デッキとして必要なカードを、必要な枚数入れる!」という、ある意味当たり前のテーマの実現。
・「デッキという物は、持っているカードを適当に集めた紙の束ではなく、テーマに沿って、シナジーとコンポをからめてまとめあげたモノをいう」という、これまた当たり前のことを初心者に教え込み、カードゲームの本当の意味での面白さに目覚めさせる)

 カードゲームはまだまだ、こうした直観的に、「これは凄い!」「欲しい!」と思ってもらえるような…玩具としてのインパクトやワクワク感で「進化」する事のできる、成 長過程の商品であると思います。

 前の章で書いたような昔のキャラクターカードゲーム。
 ああした、適当に作られた商品には手を出さないよう、ユーザーの目も肥えていったならば、出来の悪いゲームは次々に淘汰されていく、成熟した市場になるでしょう。

 時計の針を、巻き戻してはいけない。
 カードゲームで育った世代の子供たちが、将来、「カードゲーム?ああ、10年ばかり突発的に流行っていたゲームね? 馬鹿な紙切れに金を出していたモンだよなぁ」などと言われないように……。
 「歴史」を持つ、安心して続けられる遊びになって、子供たちにも良い影響を与え、大人と子供のかけ橋になるように。
 この国に失われつつある、「縦社会のコミュニケーション」の手段の一つとして、成熟したものになるまで、様々なものを積み重ね続けたい。
 そのために働かせて頂くのが、僕の仕事だと、この新年に誓います。


 皆様、本年もよろしく、お願いいたします。

 2009年1月 有限会社遊縁代表取締役 池田芳正

 PS.
 とかなんとか肩っ苦しくなってしまいましたが、ようするに平たく言うと「カードゲーム、楽しいよ!」と思ってもらえるよう、僕自身、人よりさらに楽しむつもりだぜ、って事であります。
 さて今年は、どんなデッキが組めるかなぁ?

(1月29日 一部誤字修正)


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